Extra-ordinary

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非日常の中で、一番できることなら避けたいのが災害だ。

自然の破壊力に、呆然とするだけ。

16年前に被災した時に感じたあの時の恐怖と悲しみがよみがえる。

だがそれでも、そこからでも、生き残った人間は学ぶことができる。

東北地方大震災の発生からほぼ36時間、飲まず食わず、ストレスの限界で無事に救出される90%以上の基準とされる72時間まで半分。が、実際は東北の今の時期の寒さと、津波で、難しいところだろう。

現場の救助活動にはただ祈るばかりだ。

ツイッターは・・・善意にあふれ、リテラシーにかけるRTがあふれてる。現場付近ではそれなりの使い方もされてるだろうが、ツイッターはローカルな現場でこそ光るメディアだ(そんなに東北にフォロワーがいるのかい?)。日本はマーケティングとかいう誤った使い方をしているが、狭く深くが一番生きるメディアだろう。まあそれは別の話。

救助活動がなんとか落ち着けば、仮設住居が用意され、ボランティアや企業、団体の活動も報道される余裕が出てくるだろう。復旧を考えれば、神戸は被災地の範囲が狭く、人口が多かったのもあるかもしれないが、街は前を凌駕する勢いで復興した。あっというまに、かさぶたのように。

住民と行政の訴訟、高齢者の仮設の孤独死、今回はさらに原発のありかたなど、あとに社会的にも以前には戻れない変化を引き起こすことだろう。

本当に傷つくのは人ばかり。

ツイッターは瞬間的なメディアだ。被災地から距離のある若いユーザーたちはリアルな悲劇とヒロイズムにしばらく興奮するかもしれない。でもすぐ後になって気が付くだろう。今後何年も、何十年も、この出来事に向き合っていくことになるということを。

急を要するときこそ、自分に責任を、手が届く範囲の人・事に責任を。

ただ、もし本当に現場に心を飛ばしたのなら。生き残った人たちの身に本当になったとしたら。

この災害で家族を亡くした人の悲しみには僕は耐えられない。誰も耐えられないだろう。

あなたがいたから、やり遂げることができた。

死んだ家族に、生きてる仲間に、神に?いずれにしても。

胸を張って、目に生きる光を。

生きてる人間はそれだけで幸せでないといけない。

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